居合とは
日本の武道の一種で、日本刀を用いる刀剣術の一種です。
(刀剣術は剣道(「立会」)と「居合」の二つに大別されます。)
居合は抜刀術、居相、抜合、鞘の内などと言われてましたが、現代では居合道と統一されて呼ばれます。
居合を構成する要素は三つあります。
1. 何時何時でもどの方角からでも敵に攻撃された時、敵よりも一瞬早く刀を抜き敵を倒し、己を守る技法。
2. その様な状況が生じる以前に刀を抜かずに(鞘の内)心理的に敵に勝つ心法
3. さらにそれ以前に「居合とは人に切られず 人切らず」危険を事前に避ける兵法です。
平素は仮想の敵(複数の場合もあり)に攻撃される状況を想定し、その敵を素早く抜いた日本刀で倒すことを繰り返し修錬いたします。
この仮想の状況に対応する刀法を業と呼びます。
業には一々名称が付いています、佐々木小次郎の「燕返」がこれです。
同時に武道を通して人としての礼法を勉強します。
居合の歴史
刀剣術には剣道と居合道がありますが、当然ながら始めから分かれていたわけではありません。
歴史的には武器や戦闘形式の変化に合わせて分かれて来ました。
古くは弓矢が主体で、槍、矛、楯、大刀等も使用していましたが、刀剣は術というほど研究すること必要はなかったようです。
そして源平合戦などが始まりますと漸く術技としての剣法が体系的に訓練されるようになります。合戦様式も進化し鎧武者を遠間から倒すために槍、薙刀が多用され、刀も腰に吊るす太刀よりも腰帯に差す打刀が多くなります。
これは槍や薙刀で敵を倒して後、組打、首取等の戦闘形式が多くなったためです。このための刀は腰刀に限らず、小刀だったり鎧通だったり多岐に亘っております。これらの使用は敵よりも素早く抜いて打つ業が有効ですので剣術と居合術が業として分化しだします。
戦国乱世では、侍に限らず、百姓町人も武装しておりました。油断大敵味方以外は全て敵です。いざと言う時には間髪を容れず、敵に対抗する業として居合術が研究され出しました。
徳川の時代でも支配階級の武士は嗜みとして武芸の修練を続けます。
居合は甲冑居合が不要になり、平服での居合になります。
平時の刀剣術では所謂剣道と居合の両者を修錬する必要が十分に理解できると思います。武士が刀を抜くのは護身、敵討、切腹、上意打等の非常に特殊な場合のみのためです。
多くの剣道の流派が剣道と同時に居合の業も修練し伝承しております。
明治になりますと、剣道ならびに居合道はかなりの流派は消滅します。
剣道は竹刀競技が主となり、北辰一刀流、神道無念流、直新陰流、小野派一刀流の代表的太刀筋は大日本剣道型へと整理統合されます。
居合の場合は幸か不幸か剣道の様に防具を付けて竹刀で打ち合うことができません。練習方法と用具は基本的に昔と同じになります。
そこで居合は古流の伝統を守り、昔ながらの稽古法を遵守して行くことが
可能です。
そしてこれが居合道を守る唯一の方法であるし現代にも存続しうる理由です。
見方を変えますと、現実的でない時代錯誤的なカッコ良さに憬れる
「刀踊り」に堕す危険もあります。
武道を含めて古典的な芸道に共通の問題かも知れません。
私共は古流の伝統に基づき、日本刀の操作法と合わせ、
先祖の精神を学ぼうとするものです。
伝統には、稽古方法、指導方法、審査方法等々あらゆる
抽象・具象が含まれます。
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